ルアー&フライは良くも悪くも道具趣味。可愛さ余って憎さ百倍。もう、「タックルには興味ありません」と言う事にしている。何故なら面倒くさいから。
爆釣チャンネルにコラム書かせて頂いてた時も読者からタックルの質問がくると面倒だった。販売関係やメーカーと契約してるプロの方達はビジネスの話をすればいいだけの事だけど、真性アマチュア 且つ 考え過ぎで自己破滅するタイプの私には面倒を通り越して苦痛でさえあった。
そんな私でも道具趣味のキャリアは長い。最初に目覚めた道具趣味は御想像通り「釣り」ですが今回の話題は2番目の「BCL」です。
「BCL」って何よ?「ラジカセ」という社会的大ブレイク現象に隠れひっそりと咲いたヲタク趣味。短波放送受信に特化したBCL専用ラジオで海外放送を聞くのである。少年達のカリスマは山田耕嗣せんせい。タモリがBCLワールドタムタムというラジオ番組やってたくらいでマイナー趣味のなかではブレイクした部類。メイドインジャパンが輝いていた時代のBCLラジオはメカニカルな機能美に溢れカッコよかった。
海外放送聞いて何が面白いのよ?じつは放送内容自体は何も面白くない。受信するまでの過程に魅了されるのである。ここはゲームフィッシングと酷似している。ちなみに少年達の対象は日本語放送。理解不能な外国語では受信し甲斐がない。海外から送信してくる日本語ってのがいいのだ。わかり易さは重要。
短波は地表と上空の電離層を反射することで地球の裏側まで到達する。当時の日本語放送で最も受信困難とされた「アルゼンチン国立放送」を聴くのが夢。バスで例えると関東60up関西70upぐらいの難しさではないのか?結局聴けなかった。地理的に近い南米エクアドルの「アンデスの声」はバスに例えると30アベレージで普通に聴けた。
BCLラジオの入手は少年達に高いハードル。最初に見たのはクラスのお金持ちの家。あだ名は「坊ちゃん」そのまんま。銀座にマック1号店がオープンするやいなや父親がマックシェークをお土産で買ってくるという当時の埼玉では想像を絶するブルジョアである。 家庭用VTRが普及する遥か以前に「天才バカボンを留守録する話」を聞いた時は意味がわからなかった。人間的に物凄く良く出来た奴で威張ったところ一切無し。本当のお金持ちはこーゆーものだと子供ながらに思ったものだ。
その坊ちゃんの家でSONYスカイセンサー見たのは衝撃的。この物凄い装置があれば人類を滅亡の危機から救えると思ったし海外放送が聴けるなんて光速を超えた気がした。募る思い。ああ、僕もBCLラジオが欲しい。
全国各地に「坊ちゃん」に相当する人物がいたのか?はたまた火付け役がいたのかは不明だが全国規模でBCLやりたい少年が発生したのは事実。メーカーもここぞとばかりに商品開発。友達連中で早い奴らはBCLラジオを購入しだした。カタログ集めて機種選定談義。もう、一端の評論家気取り。よくわかってもないのに「A社に比べりゃB社はおもちゃ」とか「ダブルスーパーヘテロダインじゃなきゃダメだ」とか、酷い時はどのBCLラジオが優れてるかでケンカになることすらあった。
甚だバカバカしいケンカである。どのラジオを買うかでケンカする事がこの少年達の未来に何の意味があるというのか?多かれ少なかれこのようなバカさが付きまとうのが道具趣味のおかしなところである。
(つづく)
当時、叔父さんの影響でBCLに興味を持ち
その世界に足を踏み入れてしまったのですが、友達の中には誰一人知ってる人が居なかったので、一人密かに楽しんでました。
で、その叔父さんが某メーカーに勤めていたので、その叔父さんからスカイセンサーとかラジカセを色々とお貰ってました。
でも、懐かしいなぁ....。
僕の周りはBCL流行ったけど変人が多かったのかな???
金持ちの息子だけが中級機?(SONYだった覚えが)を持っていたので、一晩借りて海外放送の受信にチャレンジしましたが・・・
外にアンテナが無かったせいなのかチューニングが悪いのか、まったく聞けず・・・
ベリカードは入手できませんでした。
(結局、回りもBCL熱の冷めるのが早く、一過性のブームで終わりました(笑))
近所の1コ上の友達(一人っ子で何でも買ってもらえた)の影響で始めました。
親にムリ言って手に入れたのは「クーガー」
夜な夜な微妙なチューニングに浸っていました(爆)
ラジオオーストラリアのベリカードは今、何処に・・・
マイナー志向なのかなぁ〜?